第25回 日本災害医学会総会・学術集会
私は耳鼻咽喉科の開業医であり、災害医療の専門家ではありません。当時医師会の役員をしておりました。地震直後から収束するまでおよそ6か月間医師会の仕事に没頭していました。
芦屋市は人口8万6人の小さな都市ですが、429名の死者が出ています。地震当日には386名と非常に多数の方が亡くなっています
建物の被害状況です。全壊した建物を赤で示しました。
神戸市に隣接している二つの町内では全家屋の85%が倒壊しています。
死亡者が出た分布です。全壊の建物と一致しています。
東西に走るJR線より南側、国道43号線より北側の市の中央部に被害が集中しています。
地震発生当日の活動経過です。発生直後から多くの傷病者が芦屋市民病院、救急告知病院、市内の医療機関に殺到しました。
7時頃私が最初に行きました伊藤病院の有様は惨憺たるものでした。
傷病者は廊下、待合、道路まで溢れ、横たわっておりました。
DOAも次々と運び込まれます。
女性が、タンスに足を挟まれたと 戸板で運び込まれてきました。一見元気そうでしたが、30分程でショック状態になりました。まさかクラッシュシンドロームであるとは夢想だにしませんでした。
ここで市立芦屋病院の状況を提示します。
当日322人が訪れましたが、50名が死亡、208名が入院、この内18名が転院しました。直接トリアージを受け転院したもの23名、41名しか帰宅出来ませんでした。
傷病者が増えるに従い二次搬送が喫緊の課題になりました。
対策本部ではあらゆる手段を尽くし連絡を取りますが、電話は不通です。
芦屋には救急車が3台ありますが、これらは傷病者を市内の医療機関に搬送するのに手一杯です。
その時、偶然大阪市の救急車を見つけました。
NHK特集の動画をご供覧ください。
これを転機として芦屋市は41名の患者を転送することができました。
震災直後24時間内の転送患者41名の分析です。
挫滅症候群、腎不全 が20名、内 透析に至ったのが14名。
その他、頭蓋内出血、血胸、熱傷、全身打撲、骨折でした。4名の命を失いました。
クラッシュシンドロームとかトリアージという言葉すら知らないままに、夢中で対応してきましたが、後に検証されて、検死、救護所・避難所での医療、巡回訪問など芦屋市での医療活動は高く評価されましたが、これは故福岡昭吉医師会長の卓越したリーダーシップのお陰です。
まとめのスライドです。芦屋市民を守れたのは
医師会が早期に立地条件よく医療体制を立ち上げたこと
病・病、病・診連携が機能したこと
自ら進んで救護活動に買って出て頂いた地元在住の医療関係者の応援があったこと
後送病院の強力な支援があったこと
と思われます。
最後に、医師会の役割は、診療科を問わず、援軍の到着まで「身を挺してでも市民を守る」。
これに尽きると考えます。
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芦屋市における地震発生から72時間の医療
講演資料は下記PDFファイルにて閲読可能です。
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下記PDFファイルにて閲読可能です。
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中日新聞 2004年9月2日掲載「その時私は・・・ 被災者からのメッセージ」
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思いつくままに・・・
下記PDFファイルにて閲読可能です。