Oct 5, 2015

あっと一人っ!あっと一っ球

阪神タイガースが最後の守りにつく
ツーアウトになるや 息をこらして じっと祈るような眼差しを投げ捨て
やおら立ち上がり「あっと 一人っ」ドンドン ドンドン「あっと 一人っ」
手拍子をするのは正しくない。お腹の底から搾り出すように叫ぶ
まさに地球の底から湧き出るような、呪縛から解き放たれた雄叫び
ツーストライクに打者を追い込むと
「あっと 一っ球」ドンドン ドンドン「あっと 一っ球」
この勝利の前儀式は、三十数年前からあった。
どんなに観客が少なくても、順位が決まり勝っても白ける試合であっても
最後はみんなで、この儀式で締めくくる
この儀式が大好きだ。
これを叫びたくって、足繁く甲子園に通っている。

「いまに見とれ!」「東京がなんぼのもんやねん」「反骨精神のシンボル」
いろんなこじつけをしながらも、タイガースに入れ込んでいた
こんなせつない気持ちを逆なでする仕打ちが度々あった
「阪神とかけて社会党と解く 心はいつまで待っても勝てない」
雑誌の特集号の表紙には「大阪の恥」とだけ大きく書かれてあった

おじさん達は、じっーと じーっと我慢して,耐えに耐え忍んだ。
「耐えることが文化や」とか「強い奴を応援してもなにがおもろいんや?」
何時の日か、この屈辱を晴らさんと

昭和48年の悲劇・恥辱を憶えてまっか
あの年は最後の最後まで巨人とデェッドヒートを繰り返し
阪神は、中日戦と巨人戦を残し、そのどちらかに勝つか引き分けると優勝!
これで優勝がなかったら、何時優勝するねんという絶好のポジションにいた。
まず対中日戦では、この年相性のよかった上田二朗を出さずに、江夏 豊を先発させた。星野は打ってもええよ と直球しか投げないのに、コチンコチンになった打線は振るわず敗れた。
雨で一日置いての巨人戦は、初回から上田が打たれボコボコにやられた。
鬱積と興奮したファンは、グランドに雪崩れ込んだ。
一生のお願いと拝み倒しての観戦であったが、気がついてみると外野の芝生で
へたり込んでいた。
4-6-6-5-6-6-6-6-4=49
な なぁにぃー 50きったんか よかったなぁ
早やとちりはあきまへん
平成6年から14年までの阪神の順位でっせ

こんな屈辱があっても、夢があったんや
この夢はいとしのダメ虎を知っているおじさんに共通する夢や
まさに同床異夢やなしに同床同夢

『聖地甲子園で,巨人を倒し、胴上げをする』
こんなことが、起こるはずは無い。
まして、目の前で起こるなんて!

あっけなく試合は終わった。午後8時50分であった。
胴上げ、ペナント授与式、応援歌、場内一周
欣喜雀躍するかと思ったが、拍子抜けがしてポカーンとしていた。
大喧騒をよそに、家路へと急いだ。
球団史を読み返してみたかったからだ。

“ダメ虎”時代を支えてきたおじさん達には、今惑っている。
強くなって、人気が出て、全国区になってしまった虎は
遥か彼方の遠い所に行ってしまった。
甲子園でしか吼えなかった虎は,今や北海道でも,九州でも、否東京でも吼えまくっている。
長い間、いとおしく、かわいがった虎はもう自分の中にいない。
ちょっぴり淋しい気がする
やっぱり「あっと一っつ」「あっと一っつ」の精神で、あと一歩たらん
所に夢を馳せ、追い求める
このほうが性にあっとるやないかと…

村上ファンドが阪神電鉄株を買いあさり、阪神球団の上場をしたいらしい。
不愉快やなぁー、なんか大事にしているものが汚された気がするわ
余計なことせんとほっといてくれ!
なんでもお金や という発想は嫌や
株主優待をするって、お金が沢山ある人は甲子園へ、
無い人はテレビで我慢しとけ ということ?

これって、病気の重い、軽いで差別をされるんではなく
お金の有る,無しで医療内容に差別をする 混合医療の発想の
同じじゃない
厭な御仁が跋扈してきたなぁ

平成15年10月 記

Posted in 雑感No Comments » 

関連記事